パリコレモデルで、”東洋の神秘”とまで世界に言わせしめた山口小夜子さん。
残念ながら2007年に孤独死してしまいましたが、モデルになるまでの生い立ちから晩年までをまとめて参ります。
また、山口小夜子さんの伝説のウォーキング動画もご紹介します!
それでは最後までお付き合いください!
Contents
山口小夜子の伝説ウォーキング動画!
若い世代の方はご存じない方もいるかもしれませんが、かつて伝説と呼ばれる日本人モデルがいました。
その名も山口小夜子さん。
日本で山口小夜子さんが話題になったのは資生堂のCM出演ではないでしょうか!
ここまでセンスの良いCMってもう作れないんじゃないかな。すごく綺麗。 >山口小夜子 資生堂CM集 https://t.co/RS0WP5sFqJ @YouTubeより
— neko_metron (@neko_metron) August 17, 2019
山口小夜子 NHK-BSシネマナビゲーション① https://t.co/2F1t3jFKNa @YouTubeより
後にも先にも、このモデルを超えられる方は現れないでしょう❗️#山口小夜子#資生堂#パリコレ#横浜#ファッションモデル pic.twitter.com/jDAjHSizyH
— 写真家 千田 慎二 公式ツイッター (@chidashinji) December 5, 2019
『氷の花火 山口小夜子』資生堂のCMしか知らなくて冷ややかで美しい方やと思ってたけど徐々に大きな瞳がチャーミングなとても可愛い方だったことが分かり”氷の花火”という題にはっとさせられました 吸収と放出 美 見習って生きます pic.twitter.com/xB8APQNWsC
— 薬師丸カエ (@ushiroyubi_) February 7, 2016
和風美人と言った感じですよね。
なおかつ、エキゾチックなオーラが備わっているので世界でも評価される人気モデルになったのでしょう!
そんな山口小夜子さんは、日本人のうちで3人目にパリコレのランウェイを歩いた人物でもあるのです。
すごいですよね!
未だに、パリコレ史上かつてない伝説のウォーキングと言われている山口小夜子さんのウォーキング動画をご紹介します。
こちらで全編観られます。https://t.co/VnR0L2jCvU
— ショウガナ伊都 (@showgonna_ito) August 10, 2018
このウォーキングをパリコレの舞台で出来るのって、他にはいないですよね!
もはやウォーキングではないです(笑)
モデルさんがランウェイを歩く姿をキャットウォークと言いますが、本当に猫が歩いているようです!
それでいて優雅さもあり、山口小夜子さんだからこそ出来たことではないでしょうか。
それにしてもすごい勇気です。
山口小夜子は結婚して夫がいる?
日本の人気トップモデルとして活躍する一方、女優として映画にも出演していました。
山口小夜子さんを知る人は、彼女ほど美しい人はいないと、魅了されてしまうほどの魅力を持っていたようです。
そんな女性を世の男性が放っておくはずがないとも思うのですが、実は山口小夜子さんはご結婚されませんでした。
夫と呼べる人はいませんでしたが、愛人の噂はありました。
ファッションデザイナーの山本寛斎さんです。
彼女は、山本寛斎さんに拾ってもらえたおかげでモデルを続けてこれたとコメントしていたことがありました。
参照元:https://www.pinterest.com/
真相はわかりませんが、公私ともにパートナーだった可能性も否定できませんね。
だから結婚しなかったのではないか、という説もあるようです。
山口小夜子の生い立ちから晩年まで!
先述したように、山口小夜子さんは2007年8月14日に急性肺炎の為に亡くなられました。
享年57歳でした。
彼女の生い立ちについて触れていきます。
1949年9月19日に神奈川県横浜市に生まれ、地元の京浜女子大学横浜高等学校を卒業後、杉野学園ドレスメーカー女学院に進学しました。
杉野学園ドレスメーカー女学院は、現在もドレスメーカー学院としてデザイナーたちが通う学校として人気があります。
山口小夜子さんは、同校を卒業後の1971年に、モデルとしてデビューしました。
デザイナーではなく、モデルを夢見て服について学んでいたんですね!
「ケンゾー」の創業者でもある高田賢三さんや、山本寛斎さんのショーに出たことで注目され、1972年にはパリコレクション、続いてニューヨークコレクションと瞬く間にモデルとして羽ばたきました。
日本人らしい切れ長、黒髪が世界に受け、「SAYOKO マネキン」と呼ばれるマネキンがブティックに並ぶほどだったのです。
「世界のトップモデル6人」にアジア人初で選ばれたこともありました。
山口小夜子さんの表現力はとても高く評価されていて、映画や舞台、CMにも出演し、またダンサーとしても活動していました。
そんな多彩な才能を持つ彼女は、自らをウェアリスト(着る人)を表し、モデルとしての人生を全うしました。
晩年は、日本人であること、アジア人であることを衣装やメイクを通して、内側から向き合おうとしていたようです。
プロデュースに力を入れていた矢先の、急性肺炎だったわけですね・・・。
葬儀は家族だけで行われ、静かな最後となったようです。
志半ばでの突然死、本当に悔やまれます。
山口小夜子・まとめ
亡くなられてから10年以上経った今でも、山口小夜子さんを超えるほどの日本人モデルはいないと言われている理由がわかったような気がします。
多彩な才能に加え、日本人らしい凛とした美しさと上品さ、それでいてダイナミックで優雅な表現力・・・どれをとっても日本に誇るトップモデルです!
あの伝説のウォーキングを超えられる人はこれから先も出てこないでしょうね・・・。
最後までお付き合い頂きましてありがとうございました!